日本国憲法と基本的人権 / 日米安全保障体制
サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約
要点整理
講和をめぐる対立:全面講和論と単独講和論
第二次世界大戦後、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に置かれていました。冷戦が深まる中で講和(戦争状態を終わらせる条約を結ぶこと)の方式をめぐり、国内では意見が対立しました。
- 全面講和論:ソ連・中国を含む、戦争にかかわったすべての国と講和すべきだという主張。
- 単独講和論(多数講和論):ソ連・中国などとの合意にこだわらず、まずアメリカを中心とする西側諸国とだけでも講和して独立を回復すべきだという主張。
当時の吉田茂内閣は単独講和論の立場をとり、1951年、アメリカのサンフランシスコで開かれた講和会議で決着がつきました。
サンフランシスコ平和条約(1951年)
サンフランシスコ平和条約は、1951年に日本と西側48カ国との間で結ばれた講和条約です。翌1952年の条約発効により、GHQによる占領は終わり、日本は独立国としての主権を回復しました。
ただし、この条約にはソ連・中国(当時の中華人民共和国・中華民国いずれも招かれず)などが参加しておらず、「全面講和」ではなく「単独講和(片面講和)」であると、当時から野党や知識人の一部から批判されました。
日米安全保障条約(旧安保、1951年)
重要なのは、サンフランシスコ平和条約が結ばれたのと同じ日に、日本とアメリカの間で**日米安全保障条約(旧安保)**が結ばれたという点です。占領が終わって主権を回復すると同時に、アメリカ軍が引き続き日本国内に駐留することが条約によって認められました。
旧安保条約には、次のような特徴・問題点がありました。
- アメリカ軍の日本駐留は認めるが、アメリカが日本を防衛する義務は条文上明記されていなかった(片務的な内容)。
- 日本国内で起きた大規模な内乱・騒擾に対して、日本政府の要請によりアメリカ軍が出動できるとする、いわゆる「内乱条項」が含まれていた。
- 条約の期限が定められておらず、条約改定について日本側から発言する手続きも明確でなかった。
新安保条約への改定(1960年)
旧安保条約の片務性への不満などを背景に、岸信介内閣は条約改定の交渉を進め、1960年に**日米相互協力及び安全保障条約(新安保)**が結ばれました。新安保条約では、主に次のような点が変わりました。
- 日本の施政下にある領域への武力攻撃に対し、日米が共同で対処することを定めた条項(第5条)により、アメリカの防衛義務が明記され、双務性が強まった。
- 事前協議制度が導入され、米軍の配置・装備の重要な変更などについて、事前に日米間で協議することになった。
- 内乱条項は削除された。
安保闘争
新安保条約の内容そのものよりも、条約の改定・批准をめぐる政治的な対立は「安保闘争」と呼ばれ、国論を二分する大規模な反対運動に発展しました。国会は混乱のうちに条約を自然承認(衆議院で可決後、参議院の議決なしに一定期間が過ぎて自然成立)し、条約発効後、岸信介内閣は責任をとって総辞職しました。
なぜテストで狙われるか
- 「サンフランシスコ平和条約」と「日米安全保障条約(旧安保)」が同じ1951年に、同じ日に結ばれたという事実は、年号・条約名の組み合わせ問題として非常に狙われやすい。
- 「全面講和論」と「単独講和論」の対立、および実際に採用されたのが単独講和であった点は正誤判定でよく出題される。
- 旧安保(1951年)と新安保(1960年)の内容の違い(防衛義務の明記の有無、事前協議制度の有無)を比較させる問題が頻出。「新安保でアメリカの防衛義務が明記された」ことと「事前協議制度は新安保で導入された」ことを混同しないこと。
- 「岸信介内閣」と「安保闘争」の組み合わせも重要な暗記事項。
旧安保と新安保の比較
| 項目 | 日米安全保障条約(旧安保・1951年) | 日米相互協力及び安全保障条約(新安保・1960年) |
|---|---|---|
| 締結内閣 | 吉田茂内閣 | 岸信介内閣 |
| アメリカの防衛義務 | 明記なし(片務的) | 第5条で明記(双務性が強化) |
| 事前協議制度 | なし | あり |
| 内乱条項 | あり | 削除 |
| 締結された経緯 | サンフランシスコ平和条約と同日に締結 | 旧安保の改定として締結 |
例題
例題1(基本)
問題
次の文章の空欄に当てはまる語句を答えよ。
1951年、日本は西側48カ国との間で( ① )条約を結び、独立を回復した。この条約が結ばれたのと同じ日に、日本はアメリカとの間で( ② )条約を結び、占領終結後もアメリカ軍が日本国内に駐留することを認めた。
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①は、日本が西側諸国と講和して独立を回復した条約なので「サンフランシスコ平和」条約です。②は、①と同じ日に結ばれ、米軍の駐留を認めた条約なので「日米安全保障(旧安保)」条約です。この2つの条約が同日に締結されたという事実は非常によく出題されます。
答え:① サンフランシスコ平和条約 ② 日米安全保障条約(旧安保)
例題2(標準)
問題
次のうち、1960年の日米安全保障条約の改定(新安保への改定)について述べた文として、正しいものを1つ選べ。
- この改定により、事前協議制度が廃止された。
- この改定により、アメリカの日本防衛義務が条文上明記された。
- この改定は、吉田茂内閣のもとで行われた。
- この改定に対する反対運動はほとんど起こらなかった。
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- 誤り。事前協議制度は新安保条約で新たに導入されたものであり、廃止ではありません。
- 正しい。新安保条約第5条により、アメリカの防衛義務が明記され、双務性が強まりました。
- 誤り。新安保条約への改定を行ったのは岸信介内閣です。吉田茂内閣は1951年の旧安保条約を結んだ内閣です。
- 誤り。新安保条約の改定・批准をめぐっては「安保闘争」と呼ばれる、国論を二分する大規模な反対運動が起こりました。
答え:2
例題3(応用)
問題
次のA~Cの出来事を、年代の古い順に並べ替えよ。
A. 日米相互協力及び安全保障条約(新安保)の締結 B. サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約(旧安保)の締結 C. 安保闘争(新安保をめぐる国論を二分する反対運動)
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B(1951年)→A・C(1960年、新安保の締結とそれをめぐる安保闘争はほぼ同時期の出来事)という順番になります。AとCはどちらも1960年の出来事ですが、条約の締結交渉・調印がまず進み、その批准をめぐって国会で安保闘争が激化したという流れなので、A→Cの順に並べるのが適切です。
答え:B → A → C
例題4(発展)
問題
「1951年に結ばれた条約によって、日本とアメリカの双務的な防衛義務が定められた」という文は、誤りを含んでいる。どこがどのように誤っているか、説明せよ。
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1951年に結ばれたのは**日米安全保障条約(旧安保)**ですが、この条約はアメリカ軍の日本駐留を認めるのみで、アメリカの日本防衛義務は明記されておらず、双務的ではなく片務的な内容でした。防衛義務が条文上明記され、双務性が強まったのは、**1960年に改定された新安保条約(第5条)**によってです。年号(1951年)と内容(双務的防衛義務)を安易に結び付けると誤るので、「どの条約に、いつ、何が定められたか」を正確に区別する必要があります。
答え:1951年の条約は旧安保条約であり、双務的な防衛義務ではなく片務的な内容であった。双務的な防衛義務が明記されたのは1960年の新安保条約においてである。
確認問題
問題
新安保条約の改定・批准をめぐって起きた、国論を二分する大規模な反対運動を何というか。また、この改定を行った内閣総理大臣は誰か。
答え
安保闘争/岸信介