日本国憲法と基本的人権 / 日本国憲法の成立と基本原理

大日本帝国憲法から日本国憲法へ

要点整理

敗戦とGHQによる占領

1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾して降伏し、第二次世界大戦が終結しました。戦後、日本は連合国軍に占領され、その占領政策を担ったのがGHQ(連合国軍総司令部)です。GHQの最高司令官はマッカーサーで、日本の非軍事化・民主化を強力に指導しました。

GHQは日本政府に対して、大日本帝国憲法にかわる新しい憲法の制定を求めました。これを受けて日本政府は、松本烝治国務大臣を中心とする憲法問題調査委員会で改正案(松本案)を作成しましたが、天皇主権を維持するなど内容が大日本帝国憲法とほとんど変わらず保守的すぎたため、GHQはこれを拒否しました。

マッカーサー草案とマッカーサー三原則

松本案を拒否したGHQは、みずから憲法草案(マッカーサー草案)を作成し、日本政府に提示しました。この草案作成にあたってマッカーサーが示した基本方針が、マッカーサー三原則です。

  1. 天皇は国の元首の地位にある(ただし、後の審議で「元首」ではなく「象徴」という形に修正された)
  2. 戦争放棄(国権の発動たる戦争を放棄し、戦力を保持しない)
  3. 封建制度の廃止

日本政府はこのマッカーサー草案をもとに憲法改正案を作成し、帝国議会での審議・修正を経て、日本国憲法が成立しました。天皇の地位については、マッカーサー草案・三原則の段階では「元首」とされていたものが、最終的には「日本国及び日本国民統合の象徴」に修正された点は、混同しやすいので注意が必要です。

公布と施行

日本国憲法は、1946年(昭和21年)11月3日に公布され、その半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されました。「公布」は憲法の内容を国民に知らせること、「施行」は実際に効力が発生し使われ始めることを指し、この2つの日付・意味の違いは頻出のひっかけポイントです。

11月3日は現在「文化の日」、5月3日は現在「憲法記念日」として、それぞれ国民の祝日になっています。

大日本帝国憲法との比較

大日本帝国憲法は、1889年(明治22年)2月11日に発布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、アジアで最初の近代的成文憲法でした。日本国憲法はこれを全面的に改正する形で成立しましたが、内容は根本的に異なります。

項目 大日本帝国憲法 日本国憲法
主権者 天皇 国民
憲法の性格 欽定憲法(天皇が定める) 民定憲法(国民が定める)
天皇の地位 元首・統治権の総攬者 日本国・日本国民統合の象徴
軍隊 天皇に統帥権(軍を率いる権限) 戦力不保持(9条)
人権の性格 法律の留保付きの「臣民の権利」 侵すことのできない永久の権利としての基本的人権
議会の地位 天皇の協賛機関 国権の最高機関、唯一の立法機関
発布・公布 1889年2月11日発布 1946年11月3日公布
施行 1890年11月29日施行 1947年5月3日施行

とくに重要なのは、大日本帝国憲法の人権が「法律の留保」付き(法律の範囲内でのみ認められる、法律によって制限できる)であったのに対し、日本国憲法の基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」(11条・97条)として、法律によっても奪うことのできない権利として保障されている点です。この違いは、両憲法の性格の違いを象徴するポイントとして繰り返し出題されます。

なぜテストで狙われるか

  • 「松本案」と「マッカーサー草案」を混同させる問題(どちらがGHQ案でどちらが日本政府案か)。
  • マッカーサー三原則の3項目の正確な内容(特に「天皇は元首」という当初案と、最終的な「象徴」という表現の違い)。
  • 公布(1946年11月3日)と施行(1947年5月3日)の日付・順序の取り違え、大日本帝国憲法の発布(1889年2月11日)・施行(1890年11月29日)との混同。
  • 「欽定憲法」と「民定憲法」の用語と、どちらがどちらの憲法にあたるかの対応。
  • 比較表の各項目(主権者・人権観・議会の地位など)をピンポイントで問う空欄補充・正誤判定問題。

例題

例題1(基本)

問題

次の文の空欄に当てはまる語句を答えよ。

第二次世界大戦後、日本を占領した連合国軍総司令部((1))の最高司令官(1))は、日本政府が作成した保守的な改正案(通称(2))を拒否し、みずから憲法草案を作成して提示した。この草案をもとに成立した日本国憲法は、(3)年11月3日に公布され、(4)年5月3日に施行された。

解答・解説を見る

(1)は連合国軍総司令部の略称、その最高司令官の名前が問われています。(2)は日本政府側が作成した憲法改正案の通称です。(3)(4)は公布と施行の年です。

答え:(1)GHQ(最高司令官はマッカーサー) (2)松本案 (3)1946 (4)1947

例題2(標準)

問題

大日本帝国憲法と日本国憲法に関する記述として誤っているものを、次の①〜④のうちから1つ選べ。

① 大日本帝国憲法は欽定憲法であり、天皇が定める形式をとっていた。 ② 大日本帝国憲法のもとでの人権は、法律の範囲内でのみ認められる「臣民の権利」であった。 ③ 日本国憲法において、天皇は国の元首として統治権を統括する地位にある。 ④ 日本国憲法のもとでの基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として保障されている。

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①は正しい記述です。大日本帝国憲法は天皇が定める欽定憲法でした。 ②も正しい記述です。大日本帝国憲法下の人権は「法律の留保」付きでした。 ③が誤りです。「国の元首・統治権の総攬者」という地位は大日本帝国憲法における天皇の地位であり、日本国憲法における天皇は「日本国及び日本国民統合の象徴」(1条)です。マッカーサー草案の当初案(元首)と、最終的に確定した日本国憲法の規定(象徴)を混同させる、典型的なひっかけです。 ④は正しい記述です。

答え:③

例題3(応用)

問題

次のA〜Dの語句を、「大日本帝国憲法に関するもの」と「日本国憲法に関するもの」に正しく分類せよ。

A. 民定憲法 B. 天皇の協賛機関としての議会 C. 国権の最高機関としての国会 D. 天皇の統帥権

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「民定憲法」は国民が定める憲法なので日本国憲法。「天皇の協賛機関としての議会」は、議会が天皇の立法に協力するだけの機関だったという大日本帝国憲法の特徴。「国権の最高機関としての国会」は日本国憲法41条の規定。「天皇の統帥権」は、天皇が軍隊を指揮する権限を持っていたという大日本帝国憲法の特徴です。

答え:大日本帝国憲法に関するもの→B、D/日本国憲法に関するもの→A、C

例題4(発展)

問題

次の文章のうち、内容が正しいものには○、誤っているものには×をつけよ。

(a) マッカーサー三原則には、天皇を国の元首とすること、戦争放棄、封建制度の廃止の3つが含まれていた。 (b) 日本国憲法は、1946年5月3日に公布され、同年11月3日に施行された。 (c) GHQが松本案を拒否した最大の理由は、天皇主権を維持するなど内容が大日本帝国憲法から大きく変わっていなかったためである。 (d) 大日本帝国憲法は1890年2月11日に発布され、同年11月29日に施行された。

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(a) 正しい。マッカーサー三原則の3項目のとおりです。 (b) 誤り。公布と施行の日付・年が逆かつ不正確です。正しくは1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行です。日付の入れ替えは頻出のひっかけパターンです。 (c) 正しい。松本案が保守的すぎたためGHQに拒否されたという経緯のとおりです。 (d) 誤り。大日本帝国憲法の発布と施行はどちらも1890年ではなく発布は1889年です。発布(1889年2月11日)と施行(1890年11月29日)で年が違う点に注意が必要です。

答え:(a)○ (b)× (c)○ (d)×

確認問題

問題

大日本帝国憲法における天皇の地位を表す語句を1つ、日本国憲法における天皇の地位を表す語句を1つ、それぞれ答えよ。

答え

大日本帝国憲法:元首(統治権の総攬者)/日本国憲法:日本国及び日本国民統合の象徴